熊本の地震発生から1週間が過ぎたが、まだまだ余震が続き、その不安はなかなか解消されない。
地滑りも怖い、家の中も怖い、水道や電気もままならず、それでもある避難所で、コーヒーが振るまわれたそうだ。
とても大変な時に、歌なんて、お笑いなんてといつも物議が起きるけれど、極限を過ぎると人間は、ほっとする時がないと、踏ん張りが効かない。
1週間ぶりに飲んだコーヒーを美味しそうに飲まれている方に、少しの立ち止まりと前向きさ一瞬蘇ったような気がする。
その時の避難所でのコーヒードリップが、こんな風だった。
再現してみた。
キッチンペーパーと割り箸で、鍋にドリップだ。
みんなに飲んでもらい、ほっとしてほしいと提供された方の気持ちがこもった一杯だ。
見ているこちらも、ほっとした。
珈琲豆のセレクトショップ /香林坊
※複数の焙煎屋さんから気に入った豆だけをセレクト、お客様のお好みの豆を提供しています※
2016年4月22日金曜日
2016年4月12日火曜日
長崎 出島にて
長崎旅行の報告です。
江戸時代の海外貿易は、出島だけに限られ、教科書に載っているあの海に突き出た扇形の島は、今は埋め立て地のなかにありました。
長崎市は、そんな中20年以上もかけて専門家や市民の尽力のもとまず発掘からはじめ、資料採集と検証を繰り返して復元したのです。
今は名物ガイドおじさんも居られ、長崎では出島は必見ですよ。
出島では、江戸時代その中でだけコーヒーが盛んに飲まれていました。
馴染みのない日本人にはただの黒くて苦いだけのものを、オランダ人は頻繁に飲用していたのだから、とても不可解だったでしょう。
でも幕末のころになると、シーボルトが出島に住み、その博学知識を求めて全国から向学心ある若者がシーボルトの私塾に集まってきます。
西洋を知るには、コーヒーからとばかりに若者たちはこぞって飲んでいたらしい。
シーボルトは、もっと日本に広めるべくオランダ本国にもっとコーヒーを送るように進言したと言われています。
ここから日本のコーヒー事始め。
200年ほど前のことです。
畳の上の椅子とテーブルで、海を眺めながらコーヒーを飲んでいたであろう姿を思い浮かべながらの出島でした。
※オランダ商館でのコーヒーの図のプリントのお土産珈琲パック
※出島限定 出島ドロップス チョコ味
江戸時代の海外貿易は、出島だけに限られ、教科書に載っているあの海に突き出た扇形の島は、今は埋め立て地のなかにありました。
長崎市は、そんな中20年以上もかけて専門家や市民の尽力のもとまず発掘からはじめ、資料採集と検証を繰り返して復元したのです。
今は名物ガイドおじさんも居られ、長崎では出島は必見ですよ。
出島では、江戸時代その中でだけコーヒーが盛んに飲まれていました。
馴染みのない日本人にはただの黒くて苦いだけのものを、オランダ人は頻繁に飲用していたのだから、とても不可解だったでしょう。
でも幕末のころになると、シーボルトが出島に住み、その博学知識を求めて全国から向学心ある若者がシーボルトの私塾に集まってきます。
西洋を知るには、コーヒーからとばかりに若者たちはこぞって飲んでいたらしい。
シーボルトは、もっと日本に広めるべくオランダ本国にもっとコーヒーを送るように進言したと言われています。
ここから日本のコーヒー事始め。
200年ほど前のことです。
畳の上の椅子とテーブルで、海を眺めながらコーヒーを飲んでいたであろう姿を思い浮かべながらの出島でした。
※オランダ商館でのコーヒーの図のプリントのお土産珈琲パック
※出島限定 出島ドロップス チョコ味
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