江戸時代の海外貿易は、出島だけに限られ、教科書に載っているあの海に突き出た扇形の島は、今は埋め立て地のなかにありました。
長崎市は、そんな中20年以上もかけて専門家や市民の尽力のもとまず発掘からはじめ、資料採集と検証を繰り返して復元したのです。
今は名物ガイドおじさんも居られ、長崎では出島は必見ですよ。
出島では、江戸時代その中でだけコーヒーが盛んに飲まれていました。
馴染みのない日本人にはただの黒くて苦いだけのものを、オランダ人は頻繁に飲用していたのだから、とても不可解だったでしょう。
でも幕末のころになると、シーボルトが出島に住み、その博学知識を求めて全国から向学心ある若者がシーボルトの私塾に集まってきます。
西洋を知るには、コーヒーからとばかりに若者たちはこぞって飲んでいたらしい。
シーボルトは、もっと日本に広めるべくオランダ本国にもっとコーヒーを送るように進言したと言われています。
ここから日本のコーヒー事始め。
200年ほど前のことです。
畳の上の椅子とテーブルで、海を眺めながらコーヒーを飲んでいたであろう姿を思い浮かべながらの出島でした。
※オランダ商館でのコーヒーの図のプリントのお土産珈琲パック
※出島限定 出島ドロップス チョコ味
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